弁護士ブログ

受験歴~司法試験ゆっくり合格法2~


司法試験ゆっくり合格法の続きです。
今回は、私の受験歴を紹介します。

2003年4月 大学入学。法曹を志し、司法試験に向けて勉強をはじめる。当時、大学が提携していたと思われる某予備校の司法試験講座を受講する。

2003年9月 この講座だけで合格できるのか疑問に思い、別の予備校の司法試験講座を受講する。憲法、民法、刑法、商法までは何とかついていけたものの、民事訴訟法がわからず挫折(その後も受講せず)。
 とりあえず、答練を受けてみることにする。民法の答練を1度だけ受けるも、まったく答案が書けず、自分には司法試験はムリだと思い、いったんあきらめる。予備校にも通わなくなる。

2005年4月 大学3年生になる。明治大学では、この学年からゼミがはじまる。大学2年生時には友人と毎日のように麻雀(健康麻雀でした)で遊び、勉強はほとんどしなかったものの、司法試験をあきらめきれなかった。
 さいわい、大学の成績は良かったため、ゼミはどこでも選べるような状態だった(人気のあるゼミは成績上位者が優先的に入れるシステム)ため、司法試験に強いと噂されていた納谷廣美先生(当時、学長)及び神田英明先生のゼミにそれぞれ入る(ゼミには司法演習と専門演習という分類があり、最大2つのゼミに入ることが出来た)。納谷先生は法科大学院協会の副理事長(うろ覚え)だったため、ロースクールの話をゼミの間に何度かされた。その話を聞いているうちに、ロースクールに入れば自分でも司法試験に合格できるんではないかと思い出す。
 ただ、司法試験ゆっくり合格法でふれたように、新司法試験は受験回数制限があるため、予備校が提供する勉強法では3振のおそれがあるため、確実に合格できる方法を模索する。
 500位以内の合格者を探すのはそれほど苦ではなかった。なんてことはない、合格者数500人時代の合格者に話をきけば良いだけだった(たとえば、納谷先生は大学4年時に司法試験に合格されている)。
 納谷先生の勉強法(基本書を読み込み、行間を読む)をベースに自分の勉強法を組み立てる。
 このとき、目標をたてる。目標は、ロースクールを卒業した年に司法試験に合格できるレベルに達すること。
 そのために、遠回りになってもしっかりとした基礎をつくり、決して近道を選ばないように計画をたてた。

2006年 大学4年生になる。進路を選択する年になったが、私の進路は当然、ロースクール。
 この年の5月、力試しに、初めて司法試験(旧司法試験)を受験する。
 結果は短答式で不合格(刑法パズルに面食らって、刑法を半分も解けないまま時間切れとなった)。
 その次は、適正試験を経てロースクールの受験。
 ここが私にとって一番の難関だった。
 私の目標は2009年ないし2010年の新司法試験合格。この時点での実力は極めて低かった。
 全ての科目につき平均的な力をつけることはせず、一つ一つの科目を丁寧にこなすという方法だったため、当時は、憲法に加え、民法の物権法まで(担保物権までは至らず)を終えたのみで、刑法は学部試験レベル、商法や民事訴訟法、刑事訴訟法に至っては断片的な知識はあったものの、ほとんど手付かずのありさまだった。
 とはいえ、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、と腹をくくり、どこかが拾ってくれますように、と祈りながらロースクールを受験していった。
 すると、幸運にも明治大学の法科大学院の既習者コースに合格できた(当時の試験は、憲法、民法、刑法がメインで商法はほんの少し知識をきかれる程度だったのも幸いした)。

2007年~2009年 ロースクール入学。この期間は、自分が考えた勉強法にしたがい、勉強するだけだった。

2009年5月 新司法試験受験。色々とハプニングはあったものの、9月に無事合格。

このような経緯となります。

ちなみに、特徴としては、

Point予備校に通ったのは2003年のみ。
Point答練も2003年の1回のみ(それも民法のみ)。
Point本番直前を含め、その後は一切、答練すら受けませんでした。
Point司法試験論文の過去問は一度も解かなかった。
Point短答式のみ、2006年の旧司法試験のパズル問題で痛い目を見たので、辰巳法律研究所が発行していた肢別本を使用。ただ、実際の過去問は解かず。

といったものとなります。
今思うと、我ながら、なかなか思い切ったことをしたもんだと思います。

さて、それでは、次回はついに私が実践した勉強法を公開していきます。

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